2008年 10月 02日
むかしむかし... |
ささぐりのむかしばなし 「子安観音」 (usakochan37 作)
むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。2人には子供がなく、毎日毎日、仏様に向かい「どうか可愛い子供をお授けください。」と手を合わせておりました。
ある日のこと、2人はこんな噂を耳にしました。何でも、篠栗という町の山の上にある「子安観音」にお参りすれば、子供が授かるというのでした。そこで2人は、さっそく篠栗の町に出かけ、山に登り、観音様にお参りをしました。そこの本堂には、大小様々な人形が、ところせましと飾られおりました。というのも、子供を授かりたい夫婦が、ここに飾ってある人形をひとつ借りて帰り、わが子のように可愛がっていると、いつの日か、きっと子宝に恵まれるというのでした。
そこで、おじいさんとおばあさんは、飾ってある人形の中から、愛らしい顔の人形を抱き上げて、大事に家にもって帰り、それはそれはたいそう可愛がりました。
そうしているうちに月日は流れ、ある時ひょっこり、おばあさんのお腹に、新しい命が宿りました。その命はおばあさんのお腹の中ですくすくと育ち、やがて元気に産まれました。「おんぎゃあ おんぎゃあ おんぎゃあ」 なんとかわいらしい声でしょう。おじいさんとおばあさんは、大変喜びました。そして、この赤ん坊を、大事に大事に育てました。
さて、観音様のいうとおり、目出度く子供が授かったので、おじいさんとおばあさんは、観音様のところへ、お礼参りに出かけました。その際、借りて帰った人形を返し、そしてもう一つ、新しい人形を納めて帰りました。そうして、それからというもの、2人は、毎年、1月、5月、9月の月に、可愛いわが子を連れて、山に登り、観音様にお参りをしたということです。
とっぴんぱらりのぷう...
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さて、これは私の作った昔話です。でも、このおはなしの通り、子供のころ我が家では、年に3回篠栗に小旅行に出かけていました。理由は、まさにこの昔話の通りです。
世の中には子宝に恵まれず、複雑な思いを抱えて生活されている方もおられるでしょうね。私も一人目は流産でした。大変悲しかったです。でも、悲しんでいる私に母が言ったのです。その言葉は今でも忘れられません。「おめでとう。よかったね。子供が出来たんだから。」...この言葉の中には、母が若い頃、どんなにか悩んでいたであろうかと思わせる、深い深い悲しみが詰まっていました。そして同時に、”子供ができることがわかってよかった”という、ほっとした気持ちも含まれていたのでしょうね。どんな思いで、子安観音に参ったのかは、私には分かりませんし、聞いたこともありません。すんだことはすんだこと。私も、ここで、このお話をご紹介するのは大変ためらわれましたが、たわいのない話と聞き流してくださるとありがたいです。
*もしも、このお話を聞いて、行ってみたいなと思われる方がいらっっしゃるかもしれませんね。もちろんお分かりのことと思いますが、神社やお寺にお参りをするのと同じで、お参りをすると必ず願いが叶うというものでもありません。太宰府天満宮が、受験の神様なら、こちらの子安観音は、子宝や子供の神様です。もちろん実存の観音様なので、ご興味がおありでしたら、是非~^^場所は、大変山深く、車でも途中まで行くことは出来ます。(上まで車で行き、少し降りることもできます。)ただし、車の離合が難しいほど狭かったです。(私も最近はお参りしてないので良く分かりませんが...)お気をつけて行かれてくださいね。
福岡県粕屋郡篠栗町大字篠栗782 子安観音
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さてさて、ひゅ~~んと現実の世界に戻りましょう^^子供の頃の、篠栗参りの思い出は、それはそれは沢山あります。雪の日に野うさぎにであったこと。まだ私も小さかったのですが、今でもよく覚えています。山道をすれ違う、白装束(最近はあまり見かけませんね...)のお遍路さんに挨拶をするのが楽しかったこと^^;;(お譲ちゃん お利口ね~なんていってもらうのが単純に嬉しかったなあ~~*^^*)道端の山野草がとっても可愛らしかったこと。電車に酔ったこと。毎年子安観音で、新しいお箸とお守りを買ってもらったこと。大変地味な話題で恐縮ですが、スキップスキップして登った山道は、いつもとっても楽しかったです。そして、家族3人、とても仲良しでした。神様本当にありがとう^^
むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。2人には子供がなく、毎日毎日、仏様に向かい「どうか可愛い子供をお授けください。」と手を合わせておりました。
ある日のこと、2人はこんな噂を耳にしました。何でも、篠栗という町の山の上にある「子安観音」にお参りすれば、子供が授かるというのでした。そこで2人は、さっそく篠栗の町に出かけ、山に登り、観音様にお参りをしました。そこの本堂には、大小様々な人形が、ところせましと飾られおりました。というのも、子供を授かりたい夫婦が、ここに飾ってある人形をひとつ借りて帰り、わが子のように可愛がっていると、いつの日か、きっと子宝に恵まれるというのでした。
そこで、おじいさんとおばあさんは、飾ってある人形の中から、愛らしい顔の人形を抱き上げて、大事に家にもって帰り、それはそれはたいそう可愛がりました。
そうしているうちに月日は流れ、ある時ひょっこり、おばあさんのお腹に、新しい命が宿りました。その命はおばあさんのお腹の中ですくすくと育ち、やがて元気に産まれました。「おんぎゃあ おんぎゃあ おんぎゃあ」 なんとかわいらしい声でしょう。おじいさんとおばあさんは、大変喜びました。そして、この赤ん坊を、大事に大事に育てました。
さて、観音様のいうとおり、目出度く子供が授かったので、おじいさんとおばあさんは、観音様のところへ、お礼参りに出かけました。その際、借りて帰った人形を返し、そしてもう一つ、新しい人形を納めて帰りました。そうして、それからというもの、2人は、毎年、1月、5月、9月の月に、可愛いわが子を連れて、山に登り、観音様にお参りをしたということです。
とっぴんぱらりのぷう...
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さて、これは私の作った昔話です。でも、このおはなしの通り、子供のころ我が家では、年に3回篠栗に小旅行に出かけていました。理由は、まさにこの昔話の通りです。
世の中には子宝に恵まれず、複雑な思いを抱えて生活されている方もおられるでしょうね。私も一人目は流産でした。大変悲しかったです。でも、悲しんでいる私に母が言ったのです。その言葉は今でも忘れられません。「おめでとう。よかったね。子供が出来たんだから。」...この言葉の中には、母が若い頃、どんなにか悩んでいたであろうかと思わせる、深い深い悲しみが詰まっていました。そして同時に、”子供ができることがわかってよかった”という、ほっとした気持ちも含まれていたのでしょうね。どんな思いで、子安観音に参ったのかは、私には分かりませんし、聞いたこともありません。すんだことはすんだこと。私も、ここで、このお話をご紹介するのは大変ためらわれましたが、たわいのない話と聞き流してくださるとありがたいです。
*もしも、このお話を聞いて、行ってみたいなと思われる方がいらっっしゃるかもしれませんね。もちろんお分かりのことと思いますが、神社やお寺にお参りをするのと同じで、お参りをすると必ず願いが叶うというものでもありません。太宰府天満宮が、受験の神様なら、こちらの子安観音は、子宝や子供の神様です。もちろん実存の観音様なので、ご興味がおありでしたら、是非~^^場所は、大変山深く、車でも途中まで行くことは出来ます。(上まで車で行き、少し降りることもできます。)ただし、車の離合が難しいほど狭かったです。(私も最近はお参りしてないので良く分かりませんが...)お気をつけて行かれてくださいね。
福岡県粕屋郡篠栗町大字篠栗782 子安観音
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さてさて、ひゅ~~んと現実の世界に戻りましょう^^子供の頃の、篠栗参りの思い出は、それはそれは沢山あります。雪の日に野うさぎにであったこと。まだ私も小さかったのですが、今でもよく覚えています。山道をすれ違う、白装束(最近はあまり見かけませんね...)のお遍路さんに挨拶をするのが楽しかったこと^^;;(お譲ちゃん お利口ね~なんていってもらうのが単純に嬉しかったなあ~~*^^*)道端の山野草がとっても可愛らしかったこと。電車に酔ったこと。毎年子安観音で、新しいお箸とお守りを買ってもらったこと。大変地味な話題で恐縮ですが、スキップスキップして登った山道は、いつもとっても楽しかったです。そして、家族3人、とても仲良しでした。神様本当にありがとう^^
by usakochan37
| 2008-10-02 12:08
| 日々のこと